アル☆カンパニー「罪」を見る

平田満・井上加奈子夫妻が主催しているアル☆カンパニーの公演「罪」(作・演出:蓬莱竜太)を見に新宿のSPACE雑遊へ。
蓬莱氏は劇団モダンスイマーズの座付き作家・演出家で、昨年「まほろば」という作品で岸田戯曲賞を受賞した注目の若手。
今回の舞台はある温泉宿の一室の一夜で、登場人物は家族4人だけ。
見てはいけないものを見てしまっているような、息苦しさを覚える舞台だった。見ているほうがいたたまれなくなってしまう、そんな感じ。
それは、家族という、ふだん他の人の目には触れることのない人間関係を描いたものだったからかもしれない。しかも、家族のそれぞれがこれまで秘めていたものをあることをきっかけにさらけ出してしまうという場面に立ち会うことになるのだ。そのときの彼らが見せる表情や言葉は、家族だからこそこれっぽっちも遠慮がない。ああ、この人は本当に怒るとこんな顔をしてしまうのか、といった気にさせられ、それを正視するのがつらくてたまらなくなる。
それと、空間が狭く、舞台の客席の距離の近さも、その思いを拍車をかけたところがあるかもしれない。4人の息づかいも聞こえるし、ほんのわずかな仕草や視線の動き、また裸足のかかとのちょっとした汚れなんかも見えてしまう。オイラは今、この家族の秘密を覗いてしまっているんだという気持ちが、どんどん自分をしめつけてくる。
それだけ、4人の役者が、“本物の家族になっていた"ということなんだろう。そして、“本物の家族の関係を描いていた”ということなんだろう。その点では、すっかり彼らの術中にはまったといっていいだろう。
それとは別に気になったのは、この家族(とくに兄を除く3人)が、なんだかんだいいながらすべてを家族の中で閉ざしてしまおうとしているように見えたこと。実はこの兄は、かつてある日の出来事によって知的障害を持つことになってしまう。タイトルの「罪」というのは、彼がそうなってしまったのは誰の罪なのかを追い詰め合う家族の関係からきている。
そこで彼らは、常に目線が家族の中を向いている。すべてのものを家族中で完結させなければいけないような強迫観念にとらわれているようにすら見える。彼らの中で、いちばん「開いている」のは、知的障害を持つ兄のようにでさえある。なんでそんなに閉じるんだ、と問いかけずにはいられなくなってしまった。
それはもしかしたら、今の家族、あるいは家族以外でも今の人間関係に多くある姿なのかもしれない。そして、オイラ自身の中にもその傾向があるから、そう思ってしまったのかもしれない。
閉じるな、開けよ。芝居を見ながら、舞台上の家族に、そして自分自身に、そう言い続けていた。