本を読んでウチの貧乏話を思い出した

「太郎が恋をするころまでには…」(栗原美和子=著、幻冬舎文庫)を読む。
2年ほど前に単行本で出たとき、有名な猿回し芸人が被差別部落出身だということを明らかにしたということでも一時話題になった本だった。
読むまではノンフィクションなのかと思っていたら、小説(私小説)だった。差別という問題を真っ正面から取り上げた話というより、それを核にすえた恋愛物語といえるものだった。だからか、それほど肩肘張らずに、その問題の存在と、その根の思いのほかの深さを改めて認識することができた。なんか主人公のこの2人、やたらと涙を流すなあ、なんてちょっと不謹慎に突っ込んだりしながら。
ただ、この本を読んでいていちばん思っていたのは、差別のことより貧乏のことだった。この本では貧乏と差別は不可分のようになっていて、この貧乏ってやつが子どものころの主人公をどれだけ傷つけたかというのが、けっこう大きなテーマになっていたりする。
オイラんちも、けっこう貧乏って部類だったけど、そんなに悲惨な感じはしなかったけどな。程度の違いもあるだろうし、加えて差別という大きな溝も横たわっているわけだから、主人公と簡単に比較しちゃいけないんだろうけど。
でもなあ、なんて感じながら、オイラは自分のとこの貧乏話を思い出していた。
・電気代が払えなくて電気を止められたとき、トーチャンは妙に機嫌よくて、「今日はパーティだ」なんて言いながら、仰々しくろうそくに火をつけ、その明かりでご飯を食べたっけ。今思えば、後ろめたさからの機嫌良さだったんだろうけど、いつ怒られるかビクビクしないですむ分、オイラはなんかホッとしてた気がする。
・オイラんちは給食費を免除になっていた。同級生で知っている人がいたかどうかはわからないけど、それをちょっとばかし引け目に感じていたのは確か。でも、何を勘違いしたのか、そのとき思ったのは、ただで食べさせてもらっているんだから残したりしたら罰が当たる、ということ。その結果、小中の9年間、一度も給食を残したことはない(はず)。また学級委員になったときも、クラスの目標に必ず「給食を残さず食べよう」と掲げていたような気がする……などなど。
こうして思い出していくと、けっこう楽しかったような感じすらする。えてして思い出は、必要以上に美化されるものだし、まあ、オイラがお気楽なだけだったのかもしれないけどね。

太郎が恋をする頃までには… (幻冬舎文庫)

太郎が恋をする頃までには… (幻冬舎文庫)