まさにタイトルそのもの「BORN TO RUN」

年明けから読んでいる「BORN TO RUN 走るために生まれた」という本。タイトルはもとより、「ウルトラランナーVS人類最強の“走る民族”」というサブタイトルからも、「全米20万人の走りを変えた、ニューヨークタイムズ・ベストセラー」といううたい文句からも明らかなように、走ることの素晴らしさと、それを知っている人たちの素晴らしさを語ったもの。
ただオイラ、実際に本を読むまでは、このタイトルは比喩的なものかと思っていた。たとえば、「この世にはここで語るように走るために生まれたような人たちがいますよ。そしてあなたもそういう人になれるかもしれませんよ」といった意味なのかな、と。そして、そのためのノウハウのようなものも書かれているのかな、と。
だが、読み進めていくと、そこに広がるのは、ノンフィクションとも小説ともつかない不思議な世界(実際には起こったことはすべて事実のようなのだけど)。出てくる人物も、皆ひとクセもふたクセもあって自分を投影するどころか、共感することもなかなかできない。時系列も行ったり来たりだし、話の本筋もなかなか見えてこなかったりで、けっこう読みづらい。「走るために生まれた」と言えるようになれるノウハウなんて全然出てこないし、なんかつらいなあというのが正直なところだった。
しかし、裸足で走る効用を語り、ナイキをはじめとする高機能シューズを次々に開発するメーカーを強烈に批判(彼らのせいで走る人のけがが多くなったとまで言い切る)するあたりから、俄然、興味がわいてきた。
そしてついに、この本のタイトルは、比喩でも何でもなく、この本の言いたいことそのままずばりを表していることを知る。
人間が二足歩行をするようになったのは、道具を使って狩りをするためだと一般には言われている。でも、実は人間の祖先が二足歩行を始めてから狩りで使えるくらいの道具を使うまでには何十万年もの時がある。ではその間、人間はどうやって狩りをしていたかというと、みんなで動物を追いかけ、長時間走り続けられない動物が疲れて倒れたのを見計らって狩ったのだという。そして、速く走るためには四足のほうが有利だけれど、長く走るためには二足のほうがいいということで、人間の祖先は二足歩行をするようになったというのだ。さらに、サルになくて人間にあるアキレス腱、大きな大殿筋、首の後ろの腱などは、歩くためには必要ないが走るためには欠かせないものだそうだ。つまり、人間は生物学的に、歩くのではなく走るため、それも厳密にいえば長く走るために生まれた種族なのだそうだ。そして、だからこそ人は、走ることに喜びを感じるのだという。さらにそして、だからこそランナー(とりわけウルトラランナー)たちは、人に(とくに同じ走る人に)競争心よりも友情や共感を覚えるのだという。BORN TO RUNとは、まさにこのことを言っていたのだと、ちょっと感動すら覚えてしまった。
この本を読んで走りたくなったという人がよくいると聞くが、オイラの場合、走りたくなったというより、走るだけの機能が残っているのなら走らなきゃいけないなと思った。それが人間という種族に与えられた使命なんだから。そして、走ることをもっともっと楽しまないといけないなと思った。それは人間が人間であることを実感できる瞬間なのだから。