サンドラ・ブロック主演「しあわせの隠れ場所」を見る

映画の日で、しかもオクチャンが明日休みということだったので、映画を見ることに。
予告編だけでちょいとウルウル来てしまい、見てみたいと思っていた「しあわせの隠れ場所」がまだやっててくれたので、それを。
サンドラ・ブロックがアカデミー主演女優賞を受賞したからさぞ混んでるだろうと覚悟して行ったけど、入りは3分程度。ハマッ子は映画なんて見ないのかな? 新宿だったらこうはいかなかったかも。
ある意味、「泣く」ために行ったんだけど、涙ちょちょ切れるってことはあまりなし。一歩間違えば、「いい人、いい家族、いい話」ととっても押しつけがましいものになってしまいがちなんだけど、そうは感じなかった。それは、これがついこの間、実際に起こったことだという強さかな。
それと、サンドラ・ブロックが演じる、いかにもキャピキャピお金持ちおばさん(リー・アン・テューイ)が、じつにあっけらかんとして嫌みがなかったということもあったかも。これが、もっとまじめで高潔な感じで演られたら、たまらなくなってたかもね。その点で、サンドラ・ブロックははまり役だし、彼女もそれに十分に応えていたと思う。最優秀主演女優なのかどうかはさておくとしても。
でも、なんか惜しいなあという部分も少なくなかった。予告編でも流れたリー・アンが「わたしが彼(マイケル・オアー)を変えたんじゃない、彼がわたしを変えたんだ」と言うシーンは、けっこうこの映画の核を示しているような気がするんだけど、肝心の、彼女を変えたもの(彼の思いなり言動なり)が何だったのか、伝わってこない。だから、あのシーンがちょっととってつけたような印象を受けてしまう。その半面、あんまり必要ないんじゃないの?というシーンもあり冗長な感じも少々。もうちょっと丁寧に撮るなり、編集するなりすれば、もっともっと良くなったんじゃないかな。
そうはいっても、涙ちょちょ切れるまではいななくても、ところどころでウルウルさせてもらったのは確か。なかでもぐっと来たのは、一つははじめてリー・アンがオアーを家に連れて帰るシーン。もちろん経済的な余裕があるからこそできることなんだろうけど、そこに、古き良きアメリカの良心のようなものが見えた気がした。それともう一つは、大学入りのごたごたでオアーが取り調べを受けるシーン。オアーの「ぼくがミシシッピ大学を選んだのは、ぼくの大好きな家族が行った大学だからだ」との言葉に、彼らの絆を感じた。
いやいや、結局いちばんぐっと来たのは、ラストのエンドロールに出てきた、本当の彼らの写真だったのかも。本物のリー・アンが本物のオアーをぎゅっと抱きしめている写真には、やっぱかなわないよ。